横浜よりこんにちは!
コンプライアンスに配慮しながら執筆したいSTM Voice Studio主催の嵯峨聖美です.
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歌が大好きで、ミュージカルの道に進み、現在こうして歌を教えるようになった私.
でも、子どもの頃から「人前で歌う」ということが本当にできませんでした.
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5歳からピアノを習い始め
母が「いい先生を見つけたのよ」と8歳の時に別の先生に出会います.
その先生こそ恩師であり、現在も親交のある大切なお一人です.
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それまではあまりしっかりやっていなかったソルフェージュをレッスンでやるようになりました.
ソルフェージュとは、音楽のあらゆる要素を鍛える基礎となるものです.
ミュージカル俳優にも必須となってきます.
このソルフェージュで音階を読みながら歌わなきゃいけないんです.
声に出さないといけないのです.
歌は大好きでした.
でも、人前で声を出すとか歌うとかは本当に緊張して声が全然出ないのです.
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これは家族も例外ではなく、家でも堂々と歌うことはできなかった.
なぜかはわからない(笑)
でも、歌が得意そうだということに家族は気付いていたようです.
よく、蚊の鳴くような声と表現されるように、私の歌声はそれよりも小さかった.
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ピアノの先生は、全然大きな声で歌わない私を叱ることなく、いつも一緒に歌ってくれました.
蚊の鳴くような声よりも小さい私の声を、耳を澄ませ聴いてくれていたのでしょう.
「聖美ちゃんは、声は小さいけどよくよく歌えているのよね」と.
今でもよく覚えています.
緊張して毎回ソルフェージュで上手く歌えないこと、それでも先生は見守ってくれていたこと.
なので、私が音大受験し、それもミュージカルの道に行きたいと言った時はとても驚いていました(笑)
ソルフェージュであんなに小さな声で歌っていた聖美ちゃんが、こんな風に歌うなんて!
と感動していました(笑)
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この「人前で歌えない、声が全然出ない」という状態は、なんと20代前半頃まで続きます.
蚊の鳴くような声は卒業しますが、とにかく人前で思うようにいかないという状態にしばらく悩まされるんですね.
不思議と中高校時代は歌えていました(笑)
後夜祭で全校生徒の前で歌えるくらいには(笑)
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練習、レッスン、オーディション
とにかくうまくいかなかった.
いつものように歌えなかった.
一人だったら私は上手なのに(笑)
こんな感じだったんですよね.
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今はその頃に比べると、一人だろうが誰かの前だろうが声は出ます.
その上で、敵わないなぁ〜まだまだだな〜あぁこんなもんか大したことないなと、ごく普通に思ってる自分がいます(笑)
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歌が化け物級に上手い人をたくさん見てきました.
なので、私はとにかく練習して場数踏んで、悔しい思いを死ぬほど経験することでしか克服できなかった.
今振り返っても、練習しても練習しても、いざという時に思うように歌えない悔しさは、鮮明に記憶しています.
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でも大丈夫です.
そんな私も今では堂々と歌っていますから.
人前になると蚊の鳴くような声になる私が唯一失くさなかったものは、恐らく、情熱です.
歌が大好きだという気持ちだけは、消したくても消えなかった.
まぁだから、なんだかんだとこうして仕事にまでなっているんでしょうね.
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レッスンで100%出せてるわけじゃないって私が一番よくわかってます.
だから、あなたのポテンシャルはそんなもんじゃないんです.
ただ、それも含めての実力であることは事実.
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声はトレーニングして変わるし
歌はうまくなるものだし
やればやるだけ変わる
勉強と同じです
人前で出ない問題については、性格やメンタルも関わります.
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単に技術だけの問題じゃないことはよーくありますよね.
コーチングはしないけど、レッスンはします(笑)
では、
スタジオでお待ちしております♪
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